大判例

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大阪高等裁判所 昭和57年(ネ)509号 判決

昭和五七年(ネ)第五〇九号控訴人

(第一審原告)

広田修

(修法定代理人父兼第一審原告)

広田猛夫

昭和五七年(ネ)第五〇五号被控訴人、 同年(ネ)第五〇九号控訴人

(修法定代理人母兼第一審原告)

広田範子

右三名訴訟代理人

東幸生

昭和五七年(ネ)第五〇五号控訴人、同年(ネ)第五〇九号被控訴人

(第一審被告)

中村裕子

右訴訟代理人

前川信夫

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  第一審被告は第一審原告広田修に対し、金三三七三万五八〇七円、及び内金三〇七三万五八〇七円に対する昭和五四年一二月二〇日から、内金三〇〇万円に対する本裁判確定の日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  第一審被告は第一審原告広田猛夫に対し、金二五二〇万九二八〇円、及び内金二三二〇万九二八〇円に対する昭和五四年一二月二〇日から、内金二〇〇万円に対する本裁判確定の日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  第一審被告は第一審原告広田範子に対し、金五五〇万円、及び内金五〇〇万円に対する昭和五四年一二月二〇日から、内金五〇万円に対する本裁判確定の日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

4  第一審原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審を通じ三分し、その一を第一審原告らの、その余を第一審被告の各負担とする。

三  この判決は一の1ないし3に限り仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求める判決

(第一審原告広田範子)

第五〇五号事件につき

本件控訴を棄却する。

控訴費用は第一審被告の負担とする。

(第一審原告ら)

第五〇九号事件につき

原判決中、第一審原告広田範子の勝訴部分を除き、次のとおり変更する。

第一審被告は、第一審原告広田修に対し金五五九九万七一九七円、同広田猛夫に対し金二六二〇万九二八〇円、同広田範子に対し金八〇〇万円及び右各金員に対する昭和五四年一二月二〇日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

仮執行宣言。

(第一審被告)

第五〇五号事件につき

原判決中第一審原告広田範子勝訴部分を取消す。

第一審原告広田範子の請求を棄却する。

訴訟費用中、原審において生じた分は第一審原告らの、当審において生じた分は第一審原告広田範子の各負担とする。

第五〇九号事件につき

本件控訴を棄却する。

控訴費用は第一審原告らの負担とする。

二  当事者の主張

原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決一〇枚目裏八行目の「高等学行」とあるを「高等学校」と訂正する)。

三  証拠〈省略〉

理由

一第一審原告修の脳性麻痺を理由とする損害賠償請求について

1  右請求に関する原判決の理由冒頭から原判決二四枚目裏六行目に至るまでの原審の説示は、当裁判所もこれを正当と判断するものであつて、これを引用する(ただし、原判決一六枚目裏最終行の「間隔で」の次に「三回に」を加え、同一九枚目裏二行目の「溶血」の次に「性疾患」を加え、同二二枚目裏一〇行目の「交換輸血の適応基準は」から同二三枚目表一行目の「とが多い)、」までを「交換輸血の適応基準は、成熟児の場合間接ビ値二〇以上を目安とされており(核黄疸の最大要因は血中内の間接ビリルビンであるから、同ビ値の濃度をもつて交換輸血適応基準の指標となるものである)と訂正する)。

2  同修の脳性麻痺の原因について

一般に、脳性麻痺は、遺伝子病、配偶子病、胎芽病、胎児病など出生前に作用した傷害因子によるもの、胎児無酸素症、骨盤位分娩、鉗子分娩、分娩時間の遷延、新生児仮死、頭蓋内出血、核黄疸など出生経過中及び早期新生児期の脳障害によるもの、各種の脳炎、髄膜炎、中毒、窒息や溺水にもとづく低酸素血症、痙れん傷害、脳血管の塞栓、血栓、硬膜下血腫、頭部外傷など新生児期後の原因によるものと分類され、(以上成立に争いのない甲第三八号証参照。)、このように脳性麻痺の原因は多種多様にわたつているのであるが、本件の場合、同修の脳性麻痺の原因については、前記のうち、核黄疸か、脳炎、髄膜炎かが問題となるだけであつて、それ以外のものが原因となつていた事実は、本件全証拠によるもこれを確認することはできない。

ところで、原判決引用部分のとおり、核黄疸は、間接ビリルビンが脳神経細胞の中に入つて発生するものであるから、ある人が核黄疸にかかつたかどうかを確定的に診断するためには、解剖所見により脳細胞各位に間接ビリルビンが沈着しているか否かを確認して決める他はないことになるけれども、しかし、裁判における事実認定は、反論の余地が全くない科学的証明までを要求されるのではなく、各証拠からみて、常識ある社会人であるなら、疑いをはさまない程度の真実性、すなわち蓋然性を得られれば足りるものと解するのが相当である。

右の観点に立つて本件をみるに、同修の脳性麻痺の原因に関して、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(一)  同修は、原判決引用部分のとおり、出生翌日の八月一〇日午後三時ごろイ値一の、翌一一日午後三時ごろイ値2.5の早期黄疸が出現していた。

(二)  同修は八月一二日転院先の伊丹市民病院において、核黄疸の治療方法である交換輸血を受けた。

(三)  大阪大学医学部附属病院勤務の整形外科医井上明生は、昭和五二年一一月ごろ(同修生後三か月目)同修を診察したうえ、同修には脳性麻痺の後遺症があり、かつそれがアテトーゼ型の四肢麻痺であるとの診断を下している。そして、右診断の時期及び内容は、同修が出生後間もなく核黄疸に罹患したと仮定した場合の新生児核黄疸臨床症状第四期の時期及びその症状内容のアテトーゼの点で一致している。

(四)  メイヤー・A・パールステインは、「黄疸後脳障害症状の特徴は、(1) アテトーゼ、(2) 眼球の上方注視麻痺、(3) 歯のエナメル質形成異常、(4) 聴覚障害の四つが存在することであつて、患者にアテトーゼがあり、他の三つの主徴の一つ又は二つがあれば、それだけで黄疸後脳障害の診断が考えられねばならない」と述べているところ、日本大学医学部附属板橋病院小児科医師馬場一雄は、昭和五七年一一月ごろ同修を診察したうえ、同年一二月一日付診断書をもつて、「同修は、現在高度の運動障害と共に、黄疸後脳障害(核黄疸後遺症)の四主徴のうち前記(1)、(2)、(3)の三症状を伴い、また、新生児期に早発黄疸、交換輸血の既往歴のある点より考えて、核黄疸後遺症としての脳性麻痺である公算が極めて高いものと思われる」との診断を下している。

以上(一)ないし(四)の各事実を総合すれば、同修の脳性麻痺の原因は核黄疸による後遺症であるとの蓋然性が極めて強いものといわなければならない。

一方、原判決引用部分のとおり、(一)第一審原告範子が同修を分娩した際、同範子に羊水混濁があり、(二) 同修は八月一一日午後九時ごろ38.3度にも発熱し、(三) 同修に対するビ値検査の結果、同修には八月一二日から同月一七日までの間連続して直接ビ値五以上の指数が現出しており、右(一)ないし(三)の事実は、同修に髄膜炎、脳炎、敗血症などの感染症の存在を疑わせるのであつて(以上甲第三二号証参照。なお、甲第三五号証一五五頁には、血清直接ビ値が五以上ある場合を高直接ビリルビン血症といい、上記感染症の存在について記されている。但し、右感染症のうち、敗血症は血液及びリンパ管中に細菌特に化膿菌が侵入して炎症を起こす疾病であるが、それ自体直接に脳の神経障害を残すものでないことは、当審証人藤村正哲の証言するところである)、現に、右引用部分のとおり、伊丹市民病院小児科医長厚味勇二医師は、転院時の同修を診察した所見から何らかの感染症であるとの疑いを持ち、八月一三日にはそれまでの症状経過からみて先天性感染症からの脳炎ではないかと一応判断し、また、同病院小児科医で同修の担当医であつた竹内医師も一〇月六日までの症状経過からみて最終的診断を下せないとしているものの、脳炎と考えていた。

しかしながら、原判決引用部分のとおり、伊丹市民病院が同修に対し(一)八月一二日、同月一五日行つた一般細菌検査の結果はいずれも陰性、(二) 同月一五日行つた髄液穿刺液検査の結果は正常、(三) 同月一二日、同月一五日、同月一八日、同月二六日に行つたCRP(反応タンパク試験)の結果はいずれもプラス一以下、(四) 各種ウイルス検査の結果は正常、(五) 同月一二日から同月二五日までの間五回にわたり行つた血液検査の結果は、同月一三日に一〇万八〇〇〇の血小板数の減少が見られたが、その他の日はいずれも一五万以上の血小板数であつた。そして、右(一)の検査結果は、その検査当時、同修に敗血症、髄膜炎の症状がなかつたことを示し(甲第四六号証三五頁参照)、(二)の検査結果は、その検査当時同修に髄膜炎の症状がなかつたことを(甲第三二号証一七八頁から一八〇頁まで参照)、(三)の検査結果は、同じく同修に新生児感染症のなかつたことを(甲第四六号証四二頁から四四頁まで参照)、(四)の検査結果は、同修に脳炎のなかつたことを(甲第三二号証一八一頁参照)、(五)の検査結果は、感染症に関連し、同修の血小板数は正常値の一五万以上を維持しており、ただ八月一三日の一〇万八〇〇〇は右を下回るけれども、未だ病的なものに至つていないことを(原審証人美濃真証言、原審記録七七二丁裏三行目から六行目まで参照)それぞれ示すものである。

もつとも、原判決引用部分のとおり、同修は八月一一日夜第一審被告から抗生剤であるリンコシンの投与を、同月一二日から同月二二日まで伊丹市民病院で同じく抗生剤であるビクシリン、ゲンタシンの投与を受けているから、前記各検査の結果が正常又は陰性であつても、直ちに同修において脳炎、髄膜炎に罹患していなかつたと即断することはできない。

しかし、原判決引用部分のとおり、同修の前記脳性麻痺の後遺症は身体障害者等級表による級別一級に該当する重大なものであり、このような後遺症を残すほど同修が当時、重症な脳炎、髄膜炎に罹患していたものとするならば、前記各検査結果中に何程かその徴候が表われているはずであるのに(後遺症を残した髄液菌の消失期間は、全治のそれよりもはるかに遅いことは甲第三六号証三二頁図3、4に示すところである)、前記のとおり、前記各検査の結果中に右徴候が全く表われていないのであるから、同修の前記脳性麻痺について、その原因が脳炎、髄膜炎の疾病によるものとの可能性、蓋然性はきわめて少ないといわざるを得ない。

そうすると、結局、同修の前記脳性麻痺は、主として核黄疸後遺症によるものと認めるのが相当である。

3  同修の核黄疸罹患の時期等について

前認定のとおり、同修は核黄疸に罹患していたものであるが、その罹患した可能性のある時期としては、同修が(一) 八月九日午前六時二四分第一審被告医院(以下中村医院という)で出生した以後同月一二日午前一〇時ごろ同医院から伊丹市民病院に転院するまでの間、(二) 右伊丹市民病院に転院以後、一〇月六日同病院を退院するまでの間、(三) 同病院を退院した以後、一一月前記医師井上明生において同修に対し脳性麻痺後遺症の診断を下した時までの間、以上の三時期に分類してこれを想定することができる。

ところで、右時期のうち(三)については、〈証拠〉を総合すれば、同修の核黄疸が右(三)の時期に新しく発生した事実はなく、むしろそれ以前の時期に罹患していたものであることが認められ、この認定をくつがえすに足る証拠はない。

次に(二)については、引用の原判決事実認定のとおり、同修は八月一二日伊丹市民病院に転院した当日の午前一一時三〇分から午後一時まで光線療法を午後二時から午後五時まで交換輸血をそれぞれ受けていたものであるから、前記(三)と同様、同修の核黄疸が右(二)の時期に新しく発生したのではなく、それ以前の時期に罹患していたものというべきである。すなわち、光線療法は新生児高ビリルビン血症の治療方法として、患者に対し太陽光線又は人工光線を照射することにより体内のビリルビンを分解させ、もつて間接ビ値の低下を図るものであり(甲第四五号証参照)、交換輸血は、文字どおり血液を入れ替えることによつてビリルビンを体内から一挙に除去し、もつて重症な核黄疸の発生を防止する最も根本的かつ確実な治療方法であり、核黄疸臨床症状第一期の段階で右交換輸血を行えば殆んど健康体に回復し、後遺症の残らないものである(原審証人美濃真の証言参照)。しかるところ、本件の場合、前記のとおり、同修は八月一二日伊丹市民病院において光線療法、交換輸血を受けたものであり、しかも、引用部分の原判決認定事実(原判決一八枚目表一一行目から表九行目まで)のとおり、同修の間接ビ値は、交換輸血前に16.33あつたものが、交換輸血後の八月一三日14.58、同月一五日9.32、同月一七日以降一〇月四日までの間5.8から0.60まで順次低下しているから、同修については前記治療方法後、特に交換輸血後新しい核黄疸が発生した状況になかつたことが明らかである。しかるに、同修には右各治療方法後に前記核黄疸による後遺症がでたのであるから、そのことは取りもなおさず、同修は、前記(二)の時期以前、交換輸血によつては防止できなかつた重症の核黄疸に罹患していたものと認めるのが相当である。

そうすると、同修は前記(一)の時期、すなわち中村医院入院中に重症な核黄疸に罹患していたことに帰着するが、それでは同医院入院中のいつ核黄疸の症状が発生し、いつそれが重症なものになつたのかについて、以下検討してみる。

(1)  八月九日

同日夕刻同修に黄疸が出ていたという当審証人西村隆子、原審における第一審原告広田範子本人の各供述部分は、原審における第一審被告中村裕子本人尋問の結果と対比してたやすく措信できず、検甲第一号証の一、二によつては未だ右事実を確認するに足らない。

(2)  同月一〇日午後三時

引用の原判決認定事実のとおり、同修には出生後三二時間目の同月一〇日午後三時黄疸が認められ、第一審被告がイクテロメーターで測定したところ、イ値一であつた。

ところで、新生児において早期より可視黄疸が出現する場合としては、血液型不適合(Rh式とABO式の二種)による溶血性疾患(核黄疸)と敗血症など感染症とがあるが(以上甲第四号証七〇頁参照)、〈証拠〉によれば、同修及び同範子のRh式血液型はいずれも陽性、ABO式血液型はいずれもB型であつて、かつ、同修には、血液検査結果の赤血球、ヘモグロビンの数値からみて溶血性疾患がなかつたことが認められるから、血液型不適合による溶血性疾患はなかつたというべく、従つて、前記イ値一を示した黄疸は血液型不適合新生児溶血症(核黄疸)によるものでないというべきである。

(3)  同月一一日午後三時

引用の原判決認定事実のとおり、同修は、同月一一日午後三時ごろイ値2.5に上昇していた。

引用の原判決説示のとおり、新生児に出現した黄疸中、総ビ値一二、三までを生理的黄疸といい、また、〈証拠〉によれば、イ値2.5は総ビ値の平均値7.5に当ることが認められ、それをみた限りにおいては、同修の前記時点に出現した黄疸は生理的黄疸の範囲内にあつたということができる。

しかし、〈証拠〉によれば、前記イクテロメーターは、無色透明のプラスチック製板に一ないし五の五段階の黄色の濃度変化をさせたカラースケールであつて、これを新生児の鼻の先端に圧迫して皮膚色と比較し、その濃度を測る極めて簡易な測定器具であること、イ値とビ値との相関関係はばらつきの度合が大きく、藤井氏の我国新生児についての実験研究においても、イ値2.5を示したものは、ビ値約五より一三の間に分散していることが認められ、しかも右のようなイクテロメーターによつて黄疸の強さを測定する場合には、測定者の主観あるいは新生児の皮膚の個人差によつて誤差を生じることは免れず、必ずしも正確なものとはいい難い。従つて、イ値とビ値との相関については、安全をとつて、前記総ビ値平均値に標準偏差値の二倍を加えた値をビ値とするのが相当であり、そのビ値はイ値2.5のとき12.11となり、この数値は右スケールの右側欄に示されていることは、甲第二八号証及び当裁判所に顕著な事実である(判例時報七六四号一九頁所掲の東京地裁昭和五〇年一月二〇日判決の別表イクテロメーター値と血清ビリルビン値の相関関係表及び判例タイムズ三二九号六四頁所掲の松倉豊治著「脳性小児麻痺と核黄疸」事例中の同表参照)。そして、成熟児における血清ビリルビン値の生理的範囲を一二以下とする説もあるのであつて、この説によつた場合(甲第四号証六九頁参照)、同修に対する前記イ値2.5は生理的黄疸と病的黄疸との限界線上にあつたことを示すものである。

右事実に、(1) 同修は前日の一〇日午後三時イ値一であつたものが、翌一一日午後三時にイ値2.5と急激に増加していること(甲第四号証七一頁表13には、血清ビリルビン値が一日五以上の率で増加している場合、黄疸に対する精査を必要とすると記述している)、(2) 原審における第一審原告広田範子本人尋問の結果によれば、同範子が八月一一日正午ごろ同修に授乳した時、同修は目をゆつくり動かしたり、母乳を四口か五口飲んではそり返つて泣き、哺乳力が殆んどなく、また、熱つぽくて何んとなく元気がなかつた事実が認められること、(3) 前記一の2中段で述べたとおり、同修には髄膜炎、敗血症などの感染症の存在を疑わせる事実があるところ、右(2)の事実はそれら感染症の初期症状を示すものである(甲第四号証七八頁、同第三二号証一七五頁参照)。しかし、感染症は同時に核黄疸が加わることがあり、しかも、感染症は核黄疸危険増強因子である(甲第三五号証三一六頁参照)。そして、核黄疸臨床症状第一期(引用の原判決二一枚目表一一、一二行目に掲記、以下核黄疸第一期という)は核黄疸に特有の反応ではなく、感染症状との鑑別が困難なものとされている(甲第二号証二七五頁、同第三二号証一七五頁参照)。従つて、前記(2)の事実は、感染症状であると同時に核黄疸第一期を示すものといつて差し支えがないこと、(4)前記のとおり同修が核黄疸に罹患していた事実は動かせないものであり、その罹患の初期を前記イ値2.5と出た時点で求めるのが適当であること、以上の諸点を併せ考えると、同修には前記一一日午後三時ごろすでに核黄疸第一期の症状があつたものと認めるのが相当である。

右認定に反し、成立に争いのない乙第一号証中の同修の新生児記録には、核黄疸第一症状に該当する記述がないが、同記録は極めて簡単で、しかも、同修が同日午後九時ごろ38.3度の発熱があつたのに36.2の平熱と記載されているのであるから信用性がなく、従つて、右記録の記述をもつて、前記認定事実を動かすことができない。〈反証排斥略〉

(4)  同月一一日午後九時発熱後

前述のとおり、同修は同月一一日午後九時ごろ38.3度の発熱をした。

発熱は、核黄疸第二期の臨床症状であるけれども、引用の原判決説示のとおり、核黄疸第一期は発病二、三日、同第二期はその後一、二週間とされているものであり、同修に同第一期症状が表われたのは同日午後三時ごろであるから、同日午後九時ごろの前記発熱をもつて直ちに同修の核黄疸が同第二期に移行していたものとすることはできない。前記発熱は核黄疸の合併症である前記敗血症など感染症によるものと認めるのが相当である。

しかしながら、引用の原判決認定事実(原判決一六枚目裏一〇行目から同一七枚目表一行目まで)のとおり、第一審被告は、同修の前記発熱検温後、同範子の破水が早かつたこともあつたので、同修の右発熱につき感染症を疑い、同修に対し抗生剤であるリンコシン三〇〇ミリグラムを同日午後一一時ごろから一時間ないし一時間三〇分の間隔で三回に分けて臀部に注射をしていたことが明らかであるところ、前記甲第二号証(二七一頁、二七二頁)、第四号証(六九頁表一二)、〈証拠〉によれば、(イ) リンコシンは、米国アツブジョン社研究所で発見されたネオマイシン系抗生物質であつて、グラム陽性球菌に対して強い抗菌作用を有し、髄膜炎、敗血症などに対する適応症があること、(ロ) しかし、使用上の注意として、リンコシンの投与はときに黄疸の上昇、肝機能検査値異常、白血球減少、好中球減少がみられ、急速静注により呼吸停止、心停止をきたす副作用があり、また、新生児に対する安全性が確立されていないので投与しないことが望ましいとされていること、(ハ)その使用適量も新生児に対しては一回二〇ミリグラム一日二、三回までとされていたこと、(ニ) 一方、特発性高ビリルビン症(血液型不適合による溶血性疾患以外の新生児核黄疸)に罹患している場合、溶血を増強させる可能性のあるビタミンKや、ビリルビン転送機能に障害を与えると考えられるステロイドホルモン(基質競合)やネオマイシン(酵素阻害)の各投与は避けるべきものであり、ネオマイシン(酵素阻害)の乱用によるビリルビン転送機能の障害は特発性高ビリルビン症を増強させる因子であることが認められる。

右認定事実によれば、第一審被告は、核黄疸(特発性高ビリルビン血症)第一期に罹患していた同修に対し、ビリルビン転送機能の障害となるネオマイシン系のリンコシンをその使用適量をはるかに越える三〇〇ミリグラムをわずか二、三時間の間に投与したため、遊離ビリルビンが急激に増加し、同ビリルビンが中枢神経系へ多量に入り、重症な核黄疸に至らしめたものと認めるのが相当である。

原判決引用部分のとおり、同修は中村医院から伊丹市民病院に転院時、体温37.6度、全身に強度の皮膚黄染があり、ビ値は総ビ値24.5、直接ビ値8.17、間接ビ値16.33であつていずれも高く、呼吸は不規則であつて、腹部が膨満し、筋肉緊張が高く、四肢に緊張ぎみの痙れんが一回あり、興奮気味の涕泣があつたこと、また、交換輸血後もその翌日の八月一三日の総ビ値20.41、直接ビ値5.83、間接ビ値14.58と高く(血液を入れ換えたのであるから、通常なら間接ビ値は著しく低下するはずである)、その後も黄疸が長く続き、モロー反射、把握反射が不完全であつたことが明らかであり、それらの異常な症状は、第一審被告のなした前記過多な薬剤投与にも起因するものであると解すべく、同修の体質のみによるものとすることはできない。

前記のとおり、同修の交換輸血前の間接ビ値16.33は交換輸血の適応基準である間接ビ値二〇に達していないが、それは同修の伊丹市民病院転院時までの間の前記薬剤過多投与による影響で同修の間接ビリルビンの多くが中枢神経細胞に移行し、脳障害が発生した後の血中現象によるものであると理解され、間接ビ値が交換輸血の適応基準値に達していないことをもつて、同修が右転院前重症な核黄疸に罹患していた事実を否定することはできない。

また、原審証人美濃真の証言中には、新生児の肝臓の解毒機能は未発達であるため、薬剤による肝機能障害が起り難い旨の部分があるが、一般的にそう言い得ても、薬剤を過多に投与した場合には、新生児は肝臓機能が完全でないため、そこに著しい障害を齎らし(直接ビ値の高いのはその証左である)、これに伴いいわゆる薬物起因性溶血が生じ、重症な核黄疸が起ること必定と考えられるから、右証言部分を採用しない。

なお、原審証人厚見勇二は、伊丹市民病院が八月一二日同修に対してなした光線療法、交換輸血の目的は、同修が黄疸で転院されていたことに対する社会的な適応を考慮したからであると証言している。しかし、光線療法はさておき、交換輸血は、引用の原判決説示のとおり五パーセントの死亡率がある危険な手術であるから、伊丹市民病院が右のようなあいまいな目的で右交換輸血を行つたとは思えない。前記甲第九号証によれば、伊丹市民病院は、同修の転院時中村医院から同医院における同修の症状経過を詳細に聴取している(医師は転医措置をとつた場合、転医先に対して治療経過を報告すべき注意義務がある)から、その治療経過に基づきもはや交換輸血の時期を失していると判断したが、同修の苦痛を和らげるため(当審証人藤村正哲の証言参照)、あるいは、万一の核黄疸防止のぎようこうを期待して前記交換輸血を行い、その後は感染症の治療に専念したものと推測される。

以上要するに、同修は八月一一日午後三時ごろ核黄疸第一期の症状を示し、同日夜第一審被告からリンコシンを過多に投与された後、伊丹市民病院転院時までの間に重症な核黄疸に罹患していたものというべきである。

4  第一審被告の債務不履行について

思うに、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務が要求され、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁判所昭和五七年三月三〇日第三小法廷判決、判例時報一〇三九号六六頁参照)。

右の観点に立つて本件をみるに、同修の出生した昭和五二年当時、前記認定の核黄疸の原因、症状、その予防、治療方法等に関する知識が、第一審被告のような産婦人科、小児科開業医に普及していたことは、前記甲第二号証、当審証人藤村正哲の証言、原審における第一審被告中村裕子本人尋問の結果によつて容易に推認されるところである。

しかるところ、前認定のとおり、同修は八月一一日午後三時ごろイ値2.5の黄疸が現出しており、生理的黄疸と病的黄疸との限界線上にあつて、しかも感染症の初期症状と核黄疸第一期症状にあつたから、第一審被告としては、同修の右症状及びその後の状態を充分観察し、診断に必要な検査をしたり、治療方法に手ぬかりのないように準備措置を講ずべき注意義務があつた。

ところで、同修が同日午後九時ごろ38.3度の発熱をしたこと、第一審被告は、右発熱検温後、その発熱につき感染症を疑い抗生剤をもつてその治療に当ろうとしたこと、同修はその当時すでに感染症と合併して核黄疸第一期にあつたこと、しかし、右両者の症状は鑑別し難いものであつたことは前述のとおりである。

右のように初期の感染症と核黄疸との臨床症状が近似し、これに対し各種の医療方法が考えられる場合、その選択はある程度医師の裁量的な判断に委されているものである。従つて、第一審被告が同修に対し感染症を疑い、抗生剤をもつてその治療に当ろうとしたこと自体を責めることはできないが、その場合にも、医師が選択した治療方法が当時の医学界において一般に合理的なものとして是認されているのでなければ、治療上の不注意として医療過誤の責任を免れない。

本件の場合、当時原因菌不確定な感染症に対する抗生剤としては、ペニシリンG、ゲンタマイシンを使用するものとされていたのであるが(甲第四号証八五頁、甲第三五号証三一六頁参照)、第一審被告は、前記発熱検温後、同修に対する感染症について何んらの検査をせず、また、感染症と合併する核黄疸について別段の考慮を払わず、抗生剤をもつて感染症の治療に当ろうとしたことは前記第一審被告中村裕子本人尋問の結果によつて容易に窺われるところであり、そして、前記のとおり同被告はビリルビンの酵素阻害となるネオマイシン系のリンコシン、すなわち、ときに黄疸の上昇をあらわす副作用があり、新生児に対する安全性が確立されていないので投与しないことが望ましく、投与するにしてもその使用適量は一回二〇ミリグラム一日二、三回までと限定されている右抗生剤を、同修に対し二、三時間の間に右使用量をはるかに越える三〇〇ミリグラムも投与した。

第一審被告の右のような治療方法、特に過多な薬剤投与は当時の医学界において合理的なものとして是認されるわけのものでないことはいうまでもない。同被告の右過多な薬剤投与によつて、同修に対し、前認定のとおり、重症な核黄疸を罹患させ、伊丹市民病院における交換輸血もすでに手遅れとなつて脳性麻痺後遺症を残すに至つたのであるから、同被告に治療上の注意義務に違背した債務不履行があり、かつ、この債務不履行と同修の脳性麻痺との間に相当因果関係のあることが明らかである。

なお、前記第一審被告中村裕子本人尋問の結果によれば、当時中村医院には抗生剤としてリンコシンしか手許になかつたことが認められるが、たとえそうであるとしても、同修は、同日午後三時ごろ前記黄疸を出現しており、その際の前記観察、検査、治療方法準備などの注意義務を尽しておれば、ペニシリンG、ゲンタマイシンを用意できたはずのものであるし、またそれ自体過量投与の弁解にもならないものである。

そうすると、第一審被告は、同修の核黄疸脳性麻痺により同原告が蒙つた損害を賠償する義務があるといわなければならない。

5  損害

(一)  同修の逸失利益

前述のとおり、同修は、昭和五二年八月九日出生した男子であつて、第一審被告の債務不履行による核黄疸に罹患していなかつたならば、順調に成長し、満一八歳から満六七歳に達するまでの四九年間は稼動が可能であつたと推定される。また、〈証拠〉によれば、同修は少くとも高校卒の学歴を得て就職したものと認められる。同修の将来の職業及び収入を推定することは困難であるので、その収入の算定は同修の核黄疸後遺症が出た当時の昭和五二年賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、男子労働者新高卒一八歳の項によるべく、それによると、同修の年収は一二六万二九〇〇円(97,900田×12+88,100円)と算定される。そして、同修の労働能力喪失率は前記同修の後遺症(一級)の程度からみて一〇〇パーセントと認めるのが相当であるから、前記金額を基準として年五分の中間利息の控除につき新ホフマン式計算により、同修が核黄疸後遺症出現当時における逸失利益額を算出すると、二〇七三万五八〇七円となる。

1,262,900×(29,0244−12,6032)=20,735,807

(二)  同修の慰藉料

同修が重大な脳性麻痺後遺症により生涯を通じ、肉体的、精神的苦痛を味うことは想像に難くはなく、右苦痛と本件債務不履行の態様その他本件に表われた一切の事情を総合考慮すれば、第一審被告が同修に対して支払うべき慰藉料としては一〇〇〇万円をもつて相当と認める。

(三)  第一審原告猛夫の監護費

同修が食事、排便、衣服の着脱等全日常生活に介助が必要であることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同範子は主婦、無職であつて定収入がないが、同猛夫は会社員として定収入を有することが認められることを考慮すると、親権者である同猛夫が扶養義務者としてその監護費用を負担しなければならないことは明らかである。

ところで、昭和五二年度の自賠責保険損害査定要綱によると、近親者の監護料は一日につき二四〇〇円としていたことは当裁判所に顕著な事実であるから、これを参考に同猛夫の監護料を考えた場合、右監護料は第一審原告ら主張のとおり一か月五万円(年額六〇万円)を要するものと解するのが相当である。

そして、同猛夫の右監護は同修の生在中、すなわち零歳の男子の平均寿命であることが当裁判所に顕著である七三歳まで続くものと考えられ(もつとも、同修が七三歳になつた頃同猛夫は生存していないかも知れないが、その時には同猛夫に代る親族が監護に当ることとなろう(、右金額を基準として、年五分の割合による中間利息を新ホフマン式計算法により控除して、同修が後遺症確定当時における監護料相当額の現価を算出すると、一八二〇万九二八〇円となる。

600,000円×30.3488(ホフマン係数)=18,209,280円

(四)  同猛夫及び同範子の慰菁料

同修の前記重大な脳性麻痺後遺症(一級)は生命を害された場合に比肩し得る程度のものということができるから、民法七一一条に則り、父母である同猛夫、同範子は精神的苦痛に対する慰藉料を第一審被告に請求し得るものと解すべきところ、その慰藉料額は本件にあらわれた一切の事情を総合考慮して、同猛夫、同範子各自につきそれぞれ五〇〇万円とする。

(五)  弁護士費用

本件記録によれば、第一審原告らが本件訴訟の追行を弁護士東幸生らに委任したことが認められ、本件訴訟の難易度、認容額等諸般の事情を考慮すれば、第一審被告の診療上の過誤と相当因果関係のあるものとして同被告において賠償すべき弁護士費用は、同修について三〇〇万円、同猛夫について二〇〇万円、同範子について五〇万円と認めるのが相当である(なお、第一審原告らから前記弁護士に対し弁護料をすでに支払われたとの証拠はない)。

(六)  まとめ

以上の次第で、第一審被告は、同修に対し、損害賠償金三三七三万五八〇七円、及び内金三〇七三万五八〇七円(弁護士費用を除いたもの)に対する昭和五四年一二月二〇日から、内金三〇〇万円(弁護士費用)に対する本裁判確定の日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、同猛夫に対し損害賠償金二五二〇万九二八〇円及び内金二三二〇万九二八〇円(前同)に対する昭和五四年一二月二〇日から、内金二〇〇万円(前同)に対する本裁判確定の日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、同範子に対し損害賠償金五五〇万円及び内金五〇〇万円(前同)に対する昭和五四年一二月二〇日から、内金五〇万円(前同)に対する本裁判確定の日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を各支払うべき義務がある。

そして、第一審原告らの本訴請求は右認定の限度で正当として認容すべきも、その余は棄却を免れない。

二第一審被告の後産の不始末による同原告範子の損害賠償請求について

1  同原告範子が八月一三日同被告から予後の心配はないと言われて、その許可を得て中村医院を退院したことは当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉を総合すれば、(一)同範子は、八月一九日終日頭がふらつき倦怠感を覚え、また発熱したので、同月二三日大阪大学医学部附属病院産婦人科で診察を受けたこと、(二) その結果、子宮粘膜の脱落した残留物と血液凝固物が発見され、前者につきその掻爬を受けたこと、(三) 同範子は、同日右産婦人科から産褥子宮復古不全症、自律神経失調症との診断を受け、以後九月二七日まで右産婦人科に通院し治療を受けたこと、(四) しかし、右産褥子宮復古不全症の原因となつた子宮粘膜脱落は、遺残胎盤とは異なり、出産後悪露の一部として壊死崩壊して出血と共に自然に排泄されるものであつて、同範子の場合、前記診察当時、子宮粘膜が未だ自然に排泄されておらず、子宮内に残留していたため、上記不全症となつてしまつたに過ぎないこと、(五) また、前記血液凝固物は産後の生理にありがちな症状の一つであること、(六) 更に自律神経失調症は産褥性の性ホルモンの急迫な減少によるものであつて、産婦の精神的なものが多分に影響していることが認められ、以上(一)ないし(六)の各事実によれば、同範子の前記各症状は、いずれも同被告の後産の不始末によるものでないことが明らかである。

なお、同範子の前記産褥子宮復古不全症の原因が右(四)認定のとおりである以上、その内容に照らし、同被告が同範子の中村医院退院時、同範子に対し同不全症に関する説明をしなかつたとしても、医師としての説明義務違反とならないものであることはいうまでもない。

3  以上の事実によれば、その余の点について判断するまでもなく、同範子の前記損害賠償請求は理由がなく、失当として棄却を免れない。

三結び

以上の次第で、第一審原告らの同修の脳性麻痺を理由とする損害賠償請求を全部棄却し、また、同範子の後産不始末を理由とする損害賠償請求を一部認容した原判決はいずれも一部失当であるから、本判決主文一の1ないし4のとおりこれを変更する。

よつて、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(上田次郎 広岡保 井関正裕)

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